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安心して「休める」地域社会を作るために〜まずは話し合ってみました〜


「安心して『休める』地域社会を」と私は言うけれど、「休む」ってとても多様で、いろいろな意味がありますよね。


一日の中でどう「休む」か、仕事をどう「休む」か、子育てをどう「休む」か、人生をどう「休む」か。


それぞれの「休む」の意味は、質的にも量的にも異なるでしょう。


一つずつ考えていく必要があります。


また「休む」前の大切な視点・条件が、それを適当に相談できる人や場所、公的機関があるかどうかだと思うんです。


そういう意味で「安心して休む」というゴールに向かうために、「安心して相談できる」場をどう担保していくかについて考えてきたところでした。


そんな中、LINEで一通のメッセージが。


SNSを見て、私の活動に共感するとともに何か政治に関わっていきたいという、同世代の方からの連絡でした。


その方(Aさん)は、現在障害者雇用(※厚生労働省のH P「障害者雇用とは?」)で数年間働きながらも、もう少しで現在の雇用契約が更新となるタイミングで、今後どうしていくのか悩んでいる最中だそうです。


彼が特に気になることだと話したのが、「悩んだ時の相談機関」についてでした。私がそこで思ったのは、悩むのは誰しもそうだけれど、いつでもその悩みを相談できるかというと、多くの人はそうではないはず。また、「悩む」「相談する」「休むor続ける」という行為はセットで考えるべきだなと。


そこで急遽、私の思いつきにより、


「悩んだ時の相談機関」について、いろいろ悩んできた、これまでの境遇も現在の状況もバラバラの「同世代」6名で集まって、とりあえず話し合ってみることにしました。


とある日(数日前)、私を含めたその6名が集まったのは市内の某所。お店のご協力をいただき、貸し切らせていただきました。


私以外は、ほぼ全員初めまして同士。緊張の面持ちの中、まずは自己紹介。障害者雇用として働いているAさんから、起業をした方、非常勤の講師として働いている方、今は働いていないがとにかく働いてみたい方、最近仕事のペースに慣れてきたばかりの方など、現在の働き方の状況だけでも様々。


まずは、Aさんが口火を切ります。「現在、障害福祉制度を使って定期的に相談できる専門職員はいる。ただ、自分の相談に対して職員の答えが返ってきたとき、それが本当なのか疑問に思うことがある。それを確認するための(医療で言うところの)セカンドオピニオン的な意見を聞きたいが、それを可能にしてくれる環境がないのが今の悩み」。そこで、彼が考えていることが、もっと自分に適した情報に満遍なく触れていられる環境をどうやって作るかということでした。


私は、精神保健福祉士として障害福祉制度についてある程度の十分な情報を得て、それぞれを理解しているつもりですが、それにしても複雑で情報が多いのが現状です。それを制度が充実している、と表現すればポジティブに聞こえるかもしれません。しかし私は、現状サービスの受け手ではなく、行政の都合で難しい制度になっている点は否めないと思います。


非常にシンプルに考えていけば、医療や労務、福祉サービスなど、様々な分野に精通した相談機関が一つあれば、それで済む話になるかと思います。国立市にも「ふくふく窓口」(https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/kenko/seikatsu_okomari/1629445145478.html)という、なんでも相談ができる窓口はあります。しかし、最終的にはそれぞれの専門部署に分かれて相談していかなくてはいけないので時間はかかるし、「総合的な良い判断」を効率的に仰ぐのは限界があるでしょう。そして、あらゆる悩みに対し、いろいろな分野に精通した人材やリソースは社会にそれほどないでしょうし、その相談体制の構築にどれくらいの費用がかかるかなどという点を考えていくと、これはまた難しい話になっていきます。


またAさんとしては、民間の福祉サービスを選ぶときに成功事例だけでなく失敗事例も知りたい、と。確かに普通の買い物などでは、「良い情報」ばかりが掲載されているのが通常でしょうが、人生の岐路に関わるような福祉サービスを選ぶ時には、中立性を担保するためにも失敗事例も分かるような情報サイトなどがあれば非常に良いと私も思いました。特に、最近は福祉サービスが民営化されている流れの中で、これは大切な視点でしょう。

※これに関しては東京都の「とうきょう福祉ナビゲーション」(https://www.fukunavi.or.jp/fukunavi/)というサイトがすでにあり、事業者には比較的便利ですが、一般向けはなかなか分かりにくいかと思います。


次に出たのが、Bさんの意見で、「緊急時」の相談。以前、Bさんが精神的に本当にきつい場面、その瞬間にどこに相談すれば良いか分からないまま、最初に電話した公的機関からいくつかたらい回しに合い、しばらくの時間がかかってやっと適切な相談先が見つかった、という話がありました。


例えば、メンタルヘルスに関わる相談ができる職種はいくつかあります。精神科医、看護師、保健師、精神保健福祉士、作業療法士、公認心理士、臨床心理士、など。ただ、それらの職種の人たちに、直ぐにつながれる仕組みになっているかと言えば、そうではありません。できるかできないかの大きな違いは、あらかじめ病院や事業所に登録しているかどうか。登録されていれば、事業者が開いている限り、緊急時でもつながれる可能性は高いです。一方で、そのようにつながるには多くの場合、何らかの精神疾患の診断を受けている必要があります。つまり、「病気」をそもそも持っていないと、サービスを使えないという制度上の大きな壁があるということです。完全な民間サービスを利用しようとすれば、費用を支払えばもちろん緊急時でもつながれる可能性はありますが、緊急時にそのような判断は難しいでしょう。あとは、緊急で対応してくれる病院をなんとか自力で探すかどうか、というところ。


そこでCさんより、その制度の壁を埋めるのはNPO的な中間的な組織でないかと。私も本当にそう思いました。登録している/していないに関わらず、緊急的な相談に柔軟に対応できる可能性があるとすればそういった組織だと思います。


それに対してDさんからは、民間団体の重要性に賛同しつつ、「昨今は困難を抱える人を支援する民間団体において会計や運営問題が取り沙汰されている」と。私としても柔軟な対応が求められる組織、事業体ほど、粗雑な会計処理になりそうなことは非常に想像がつきます。その「弱み」に対する適切な行政チェック(見守り)は必須でしょう。


そして、最終的には私たちの働き方に対する問題意識について話が及びました。Eさんは精神保健福祉手帳を持っているそうですが、この手帳があるかないかで「自分の価値は変わるのか」と考えてしまう時があるのだそう。これに対しては、一同、虚を突かれたような表情をし、そこから一気に場の空気が変わりました。


「この社会、そして特に企業社会の中では、何かが『できる/できない』で人の価値が決まっている」。


「何かが『できない』ということは絶対的にマイナスなことで、ある一定のラインまで『できる』人でない限り、自己肯定感を得られないような社会になっているのではないか」。


「その結果、職務上できることがない人は、『価値のない人間』のように感じられてしまう」、と言った意見が矢継ぎ早に出てきて、一同、うなずきます。


それから、


「これらの価値観・考え方は、何か偏っていておかしいということは分かる」。


「でもなんでそうなっているのか、どうしたら変わるのかは分からない」。


「とにかく、これによって『とにかく働けプレッシャー』を感じている人が多いのではないか」、というような意見や声が最後に出てきました。


私はあとで、日本人が仕事を上手く「休めない」のだとしたら、こういったプレッシャーを常に感じている人が多いからではないかと考えました。


だからこそ、行政、政治家、友達、家族、同僚、活動家などが常に「安心して休めるよ」「なんでも相談してね」というメッセージを送り続ける必要があると思います。


あっという間の約2時間30分の話し合いは全くここに書ききれていませんが、今回はこれくらいにしておきますね。本当に濃いぃ話し合いとなったのは間違いありません。


今後の政策提案に生かしていきます!ありがとうございました。


2月10日 高野宏

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