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<高野宏の職業・略歴>

​ソーシャルワーカー(精神保健福祉士)。1989年8月6日、広島県生まれ。

一橋大学入学以来、国立で暮らし働く。

国立市役所の児童福祉部署で4年間、

市内の障害福祉事業所で4年間を過ごす。その他、地域で結婚式など企画中。

​これまでの主な地域活動

これまで様々な立場から14年間、国立の地域活動に関わってきました。私にとって地域活動とは「地域の魅力や恵みを掘り起こし分かち合い、より豊かな、より楽しい暮らしと未来を作ること」です。

​学生として

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◯「モノがたり展」など芸術や生活文化を通して、地域の魅力を発信するイベントの企画(2009年〜2014年)

大学生の時は、「もっと人間のことが知りたい!」という気持ちを強くもっていました。それを最初に教えてくれたのが、自分が暮らす国立市内で出会った方々。そして、僅かながらでも人間という存在の魅力を伝えていきたいと思った時に、言葉だけではなく音楽や美術の力を使った方がよりダイレクトに伝えられるのではないかと。そうしてまず企画したのが「モノがたり展」です。これは、地域のお店や市民の方々が「大切にしている『物』」の物語をポスターにして街中に展示する企画でした。また、サークル活動として、「国立パワージャズ」という一橋大学構内のジャズライブを中心とし、大学通り、旭通りなど街の様々な場所で音楽を聴くことができるイベントの企画に携わってきました。とにかく国立を好きになり、この先もここで暮らしていきたいと思うようになった経験です。

​市職員として

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「くにペディア」など、児童福祉に関わる事業の企画(2014年〜2017年)

市役所職員として働きながら、市民との協働で実施する事業に深く携わりました。中高生の知恵や創造性を借りて、天下市からママ下湧水まで様々な場所を映像で発信した「くにたちCMスタッフ」や、子どもの居場所を中心とした地域のリソースマップ「くにペディア」では、撮影、文章作成、デザイン、広報まで、全ての工程で市民の方々と協力しながら情報を発信していきました。これら業務を通して、市民生活を支え、後押しをしていく行政の役割の重要性を感じつつも、実際に地域の暮らしを作っていく仕事もやっていきたいと思うようになりました。

​事業者として

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「街kadode」など、地域の門出をお祝いするイベントの企画(2017年〜2022年)

地域の魅力をビジネスの力も使って発信していく方法も模索してきました。そこで実験的に行ってきたのが、いわゆる人生の門出を地域の事業者の力を借りて一緒に祝おうという趣旨で考えたイベントです。七五三から、成人式、ウェディングに関することまで市民の皆さんの門出をお祝いしながら、谷保の畑から旧国立駅舎まで様々な場の魅力を発信してきました。これらの仕事を通しては、20代30代の若い人たちとの出会いが多くありました。この人達が、事業者として地域で根をはって仕事をしていくにはどうしたら良いか、それを強く考えるようになりました。

​ソーシャルワーカーとして

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「Wafc」など、障害福祉に関わる事業の企画(2019年〜2022年)

市内の障害福祉事業所で主に精神疾患がある方の生活や仕事のサポートをしていく中で学んだことは、様々な「障害」を知り、それを学ぶということは、社会の「障害」に気づくチャンスなんだということです。つまり、ある人の障害は直されるのではなく、それを取り巻く社会環境を直していく必要がある、ということです。じゃあ、社会の何がどう変なのか、具体的に明らかにしていくための事業を作っていくことになりました。例えば、当事者の話をより深く聴く会であったり、芸術作品を雑貨商品として販売し、障害について知ってもらうきっかけを作ったり(「Wafc」プロジェクト)してきました。そうしてきた結果、何が得意で何が苦手かをそれぞれが知り合うことによって、より良いチームを作ることができる。その延長線上に、誰も取り残されない、豊かな社会を作ることができるのではないか。そのような期待を抱くようになりました。

​その他、市民として

・公民館運営審議会委員を2期

・市民講座のコーディネート

・国立五天「国立家」への参加 

・中高生の学習支援(家庭教師や公民館で)

・天下市など街のイベントのお手伝い

など

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​<ちょっと詳しい自分史>

(1990年代)​1989年広島県広島市に生まれます。三兄弟の長男です。郊外の住宅街で幼少期を過ごしました。小学生の時はTVゲームを買ってもらえなかったので、弟の面倒を見るか、友達と野球をするか、川で虫や魚を取って遊んでいました。

(2000年代)6年生の時から、小太りなことをクラスメートにいじられたことがきっかけで、地元の中学校に行きたくなくなり、あとはとても負けず嫌いなこともこうじて、寝ても覚めても受験勉強に明け暮れました。その結果、市内のカトリック系の中高一貫の男子校に通うことになります。中高生の時は、毎日丘の上まで通うのに疲れた時期もあり、青年期特有のアイデンティティの揺らぎも大きく辛い期間も長かったのですが、部活動と文化祭、体育祭で紛らわしながら、良い先生たちと仲間とたくさんの思い出ができました。大学受験には一度失敗し、地元で就職することも考えたのですが、どうしても東京に行ってみたくなり、なんとか親に支援を頼み浪人を経て、東京の国立市にある一橋大学社会学部で学べることになりました。

(2010年代)社会学は非常に面白く、始めて勉強が楽しいと思うようになりました。3年生からのゼミでは国際社会学という分野で、沖縄と韓国へフィールドワークに行き、移民政策について見識を深めます。また、1年生の頃から地域での活動を始め、地域のお店にインタビューをして回り、ポスターにして展示会を行ったり、ストリートライブの企画をしたり、商店街や幼稚園で合唱をしたり、音楽やアートで盛り上げたいと自分なりに頑張ります。大学卒業後、国立市内で何でもいいから地域のために何かしていたいと思うようになり、たまたま教えてもらった市役所の嘱託職員に応募し、働けることに。副業もOKだったので、四谷のシャンソンとカンツォーネのライブハウスで夜は働きます。大好きな音楽を聴きながら幸せでした。半年間ですが、尊敬するファッションデザイナーが主宰する学校でデザインの考え方も学びました。

(2014年〜)市役所の仕事は、中高生の放課後のサポートや子育て情報の発信とメインに行いました。情報を適切に届ける難しさを感じつつも、行政が様々なサービスを提供する意味や影響力を噛みしめながら、実際に多くの人を助ける力の必要性と福祉の大切さを思い知ります。ただ、市役所嘱託員の月収が当時だいたい15万円くらいで、もう少し稼ぎたいなと思って、4年間働いた後は起業を目指すことに。それがきっかけで趣味の延長のような形で地域でのお祝いイベントの企画を行うことになりました。ただ、ビシネスはすぐにあまり向いてないなと感じ、少しずつ地域の何でもお困りごと相談の方が仕事になっていきます。その中、障害福祉施設の職員に誘われ、精神障がいがある方を主な対象とする就労支援B型事業所で働くことになりました。そして、副業的にイベント企画やデザイン、中高生の学習支援活動などを続けながら、「ソーシャルワーカー」としての自覚が芽生えていったのです・・・(続く)

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​<趣味>

​リサイクルショップ巡り、歌を歌う、猫と遊ぶ

​<座右の銘>

​虎穴に入らずんは虎子を得ず

​森もみて木もみる

​<性格・意識していること>

・負けず嫌い

​・​自意識が多少過剰

・人を非難するのではなく、物事を批判することに集中する。

・新しい物事をする時は、古い物事をなるべく捨てる勇気をもつ。

​・発する言葉はなるべくシンプルに心を込めて。

・男女の枠に囚われずに。

​後の先(ごのせん)

​<家族構成>

妻の早紀と猫の燦と暮らしています。

​「ソーシャルワーカー」って何者!?

私は、「人の話を聞き、人をつなぎ、その人のより良い生活を共に作り、必要に応じて社会環境も変えていく存在」だと考え、実践しています。公式には、日本ソーシャルワーカー連盟の倫理綱領をぜひご覧ください。https://jfsw.org/code-of-ethics/

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